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田中正造
たなかしょうぞう
[田中正造]
1841~1913
明治時代に、我が国初の公害事件として名高い足尾鉱毒問題の解決に生涯をかけて奔走し、今も地元の英雄として多くのに尊敬されている偉人です。現在の栃木県佐野市小中町の名主の長男として生まれました。田中家は、すべての人を慈しむという両親の思想を家風としていましたから、農民に対しても手厚く接し、そのために名主とはいえ常に貧しく、つつましい暮らしでした。正造は、こうした両親の豊かな愛情の影響を受けながら育ちましたが、父母の物静かで厳格な性格に反して熱血あふれる男でしたから、潔癖で不正を見逃すことができず、常に村の若者の先頭に立って行動しました。若くして父の跡を継いで小中村の名主となりましたが、地元にできた栃木新聞の編集長を経て1880年には県会議員となり、更に1890年には第一回衆議院議員選挙で初当選しました。国会議員になると、第2回国会で足尾銅山鉱毒問題を取り上げて以来、終生この問題の解決に奔走しました、なかでも、1900年に鉱害を訴える農民が大量に逮捕された“川俣事件”に関して、「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」として、日本の憲政史上に残る大演説を行ったことは特に有名です。また、1901年には明治天皇に対して、当時は最高刑は死刑とされていた直訴を決死の覚悟で行い、足雄銅山の操業停止を訴えました。1913年、病を得て亡くなりましたが、人権、平和、自然との共生を主軸にした彼の思想は、地球p13規模の環境破壊が問題化されている近年、再評価されています。
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