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武田信玄

たけだしんげん


[武田信玄]
1521~1573
戦国時代(室町時代)を代表する甲斐(山梨県)の大名。甲斐守護職であった18代当主、信虎の長男として生まれました。かねてから対立していた父を追放して19代当主を奪取すると、天下取りを目指してまず信濃に侵攻しました。信濃塩尻峠の戦いで小笠原長清を、次いで猛将として知られた村上義清の戸石城を落としたため、義清らは共に越後の上杉謙信(長尾景虎)の元に敗走。その確執から12年にわたって信濃川中島で上杉謙信と対戦し、決着こそつきませんでしたが信濃全域をほぼ手中に収めました。なかでも永禄4年(1561)の戦いは激戦で、「川中島の合戦」として今日まで語り継がれています。念願の上洛を目指して遠江に侵攻し、徳川家康を三方ケ原で破って三河の野田城を陥落させました。しかし直後に信濃国駒場で病死しました。風林火山の軍旗を用いて甲斐の虎と呼ばれ、また武田二十四将と呼ばれる精鋭部隊を率いた武田騎馬軍は戦国最強と評されました。領国経営の面では「甲州法度之次第」を制定し、「信玄堤」に代表される治水や金山開発、税制や度量衡の統一、交通制度の整備、城下町の建設などの民政にも努め、一方、和歌や詩文などの才もあり、文武両道を備えた名将でした。