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白瀬矗

しらせのぶ


[白瀬矗]
1861~1946
日本人で最初に南極を探検した人。秋田県出身。陸軍の軍人になった後、郡司成忠海軍大尉の千島探検隊に加わる。後、アメリカの探検家ピアリー大佐の北極点踏破のニュースが伝わり、目標を南極点到達とした。探検隊を組織して積載量わずかに200トンという帆船を買い取り改造、開南丸と命名し、集まった26人の隊員とともに南極に向かった。1912年10月16日、ロス海の鯨湾から大陸に上陸し、日本人として最初に南極大陸に足跡をしるした。さらに4人の隊員とともに南へ進み、1912年1月28日に南緯80度5分、西経165度37分の地点まで行ったが、準備不足のため目的の地点まで到達できなかった。そこの雪中に日の丸の旗をたてて、ここを大和雪原と命名し日本領であると宣言して帰途についた。帰国後、長い年月をかけ渡航の借金の弁済に努め、大変苦労し、栄養失調による餓死で亡くなりました。