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坂上田村麻呂

さかのうえのたむらまろ


[坂上田村麻呂]
758~811
平安時代の武将で、渡来人阿知使主の子孫といわれています。我が国初の征夷大将軍に任じられ、桓武天皇の命で4万の大軍を率いて奥羽地方に遠征し、長い間頑強に抵抗してきた蝦夷を降伏させることに成功しました。胆沢城を築いて多賀城にあった鎮守府をここに移し、更に志波城を築くなどして東北地方を鎮めました。こうして、平安時代の初期には仙北地方から岩手県南部にかけての一帯も朝廷が支配することになりました。田村麻呂は、武勲を立てただけでなく、蝦夷地の住民の取り扱いに誠意をもってあたり、戦功のあった者には昇進叙位を与え、公民となろうとして改姓を願う者に対してはそれを許可し、蝦夷の身分的差別解消にも配慮したため、東北地方の人々にも尊敬されました。