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大隈重信

おおくましげのぶ


[大隈重信]
1838~1922
明治・大正時代の政治家で肥前(佐賀県)藩士の出身です。幕末の尊王攘夷運動に加わり、維新後は新政府の参議や大蔵卿を務め、大久保利通を助けて新政府の基礎を作ることを図りました。イギリス流の立憲君主制を基とした憲法を唱えたために薩長出身の役人と対立し、1881年の政変で役職を追われました。その後、自由民権運動に加わって犬養毅や尾崎行雄らと立憲改進党を創立し、福沢諭吉らとはイギリス風の議会を作ろうと努力しました。伊藤内閣や黒田内閣の外務大臣になって不利な条約(修好通商条約)の改正に努めましたが、これに関連して反発した勢力によって爆弾を投げつけられ、右足を失ってしまいました。1898年には板垣退助率いる自由党と合併して憲政党を作り、日本で最初の政党内閣の総理大臣になりましたが、内部が激しくなって4か月でつぶれてしまいました。1914年には再び首相になり、日英同盟を理由に第一次世界大戦に参戦し、21か条の要求を中国に押し付けるなど強気の外交を展開しました。また、文化の発展を願って東京専門学校(現在の早稲田大学)を創立し、多くの人材を送り出して日本の政治や文化に大きな役割を果たしました。