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上杉謙信

うえすぎけんしん


[上杉謙信]
1530~1578
越後(新潟県)の戦国大名で合戦の天才児といわれました。幼名を虎千代といい、元服して長尾景虎と称しました。天文十七年に兄晴景と争った結果、上杉定実の調停で長尾の家督を譲られ春日山城主となりました。以後、戦国動乱の時代にあって、北陸、信濃、関東に出陣を重ねましたが、宿敵武田信玄とは11年に及ぶ戦いを繰り広げました。信玄との「川中島の合戦」は戦国時代の数多い合戦の中でも特に名高く、勇壮な物語として今日まで語り継がれてきました。謙信は強い信仰心から戦においてもその姿は僧侶であり、毘沙門天を崇拝して白地に「毘」という文字を書いた軍旗を常に高く掲げて勝利を祈ったといいます。永禄四年、上杉憲政から譲られて関東管領職に就き、上杉姓を名乗るようになりましたが、謙信という名は後に出家してからのものです。天正四年、織田信長との同盟関係を断ち、翌年九月には織田方の能登七尾城を陥れて信長軍を加賀手取川に撃破しました。しかし、翌年三月、関東へ出陣しようとした直後に脳溢血で倒れました。享年四十九歳。