修正依頼



岩倉具視

いわくらともみ


[岩倉具視]
1825~1883
幕末から明治前期における公家出身の政治家。中納言、堀川康親の子としてに生まれましたが、13歳のときに、貴族の岩倉具慶の養子となりました。1867年に徳川慶喜が政権を朝廷に返還しますが、それをうまく演出したのがほかならぬ岩倉具視でした。公武合体策に賛同した彼は、和宮と将軍家茂の婚姻のために尽力しました。しかし、そのことで尊王攘夷派の反感を買い、身の危険を感じた彼は朝廷の役職を辞任して京都の岩倉村に一時期閉じこもりました。その後、西郷隆盛や大久保利通らと王政復古の討幕運動を行いました。明治新政府では右大臣に任じられ、1871年には全権大使として欧米各国を視察し、帰国後は西郷隆盛らの征韓論に反対して内政の充実を主張しました。また、天皇の権力を守るために、天皇中心の国家体制を確立しました。