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一休宗純

いっきゅうそうじゅん


[一休宗純]
1394~1481
室町中期に禅宗の大衆化に努めた僧で、幼名を千菊丸といい、後小松天皇の子とされています。幼少のころから広く漢文や漢詩を学んで天才的な才能を現しました。禅宗の腐敗を痛罵して自由な禅の在り方を主張し、禁じられていた飲酒や肉食を当然のように行いました。そのために宗派からは破戒僧とさげすまれましたが、無意味な権威を否定し続ける一休に共鳴した世間の人々からは大きな支持と拍手を送られました。また、「元旦は冥土の旅の一里塚。めでたくもありめでたくもなし。」と言ってお正月にドクロを持ち歩くなど、数々の奇行でも有名です。6歳で安国寺に入りましたが、天皇の子という身分を明かすことを許されない状況の中で一心に勉学に励み、寺の書庫に住みついて数々の経典を読破します。後に「とんちの一休」の話としてまとめられて今日まで語り継がれてきた逸話の数々は、このころの一休の言動が根拠となっています。生涯を禅の道の探究にかけた一休は、詩や狂歌、書画にも才を発揮し、「狂雲集」、「一休法語」などの著書も残しました。1481年11月21日、数人の弟子たちにみ取られながら静かにこの世を去りました。