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市川房江

いちかわふさえ


[市川房江]
1893~1981
日本近代の婦人運動の指導者で、愛知県の農家の三女として生まれました。教員や新聞記者を経て、1920年(大正8)に「平塚らいてう」に出会って新婦人協会を設立し、婦人の権利拡張運動に乗り出しました。平塚との意見対立から翌年協会を離れ、婦人運動や労働問題研究のために渡米。帰国後、1924年に婦人参政権獲得期成同盟を結成して婦人の公民権・参政権の実現、婦人解放の啓蒙、母子保護法制定などに活躍しました。敗戦後いち早く新日本婦人同盟を結成し、1950年に現在の日本婦人有権者同盟会長となり、以後、参議院議員として議会制民主主義の確立を目指しました。また、議員としての20年を超える活動を通じ、政界の浄化に努めながら、労働省婦人少年局の存続、売春防止法の制定、再軍備反対運動、国際婦人年の推進など一貫して女性の地位向上のために尽くしました。1981年2月11日、惜しまれて87歳の激動の生涯を終えました。