修正依頼



明智光秀

あけちみつひで


[明智光秀]
1526?~1582
安土桃山時代の武将。通称・十兵衛。生まれた年月は不正確とされています。文学にも通じるなど当時の武将としては少し変わった人物でした。斉藤道三や朝倉義景に仕えましたが、時の将軍足利義昭を織田信長に引き合わせた功により、足利義昭の家臣という身分のまま信長の部将に取り立てられました。その後、丹波城主になりましたが、信長には何かと冷遇されることが多く、豊臣秀吉らが中国地方攻略に行ったすきの、1582年6月2日、京都・本能寺を奇襲して織田信長を討ちました。(本能寺の変)しかし、同月13日、知らせを聞いて中国地方から急いで引き返した豊臣秀吉と山崎で対戦して敗れ(山崎の合戦)、逃走中に土着の住民の落ち武者狩りにあい死亡。このことが、「三日天下」という言葉の由来ともなりました。